投稿者 せきやま 日時 2002 年 10 月 20 日 18:18:45:
あのトラブルのせいで、一週間遅れで帰ってきた荷物。その中で割れてしまっていた、敦煌で買った高さ20cmぐらいの飛天の像。私にとっては、中国旅行の腹立たしさとがっかりの象徴のようなものだ。新聞紙に包まれてビニール袋に入っていたのだが、飛天の裾と台のところで割れてしまっていた。
しかし何だろう、中から細かい木の屑か土のようなものがざらざらと出てきた。袋の中にはその屑がいっぱい入っている。やっぱり売っていたお姉さんが言っていた、らくだの骨を削って作ったというのは嘘だった。見た感じから薄々感づいてはいたが、この木の屑みたいなのは何だ。樹脂製だと軽いから、重さをごまかすために詰めてあるのだろう。まったく腹が立つ。
破片を接着剤で貼って直そうかと思ったが、この屑をどうするかが問題だ。また詰め直して貼るのは面倒で難しそうだった。この飛天の像はとても気に入って買ったので捨てようとは思わなかったが、やっかいなのですぐに修復作業をする気は起こらなかった。そしてあまり見る気がしなかったので袋に入れてそのまま放っておいた。
・・・
あれから2ヶ月あまりが過ぎた。部屋を掃除したとき、ふと部屋の片隅に置いてあったその袋が目に入った。割れた飛天を直そうかと座り込み、新聞紙を広げてその上に袋の中身を全て開けた。
!
数珠だ。木で出来た数珠。屑に埋もれていてこの前は気付かなかったが、飛天の体内に入れてあったのだ。これは飛天を割った人しか知ることが出来ない。おそらく売っていたお姉さんでさえ知らないのではないだろうか。
きっと敦煌だからこそだ。作った人の気持ちがある。土産物でもきちんと気持ちが入ったものだったのだ。私は単なる安物の土産だと思っていた。買った人間でさえそうなのに、値切ったりして買っているのに、作り手のやさしさが感じられる。割れないとわからないというところが、なんだか日本的でさえある。
ものはいつか壊れる。この飛天の像が割れてしまったとき、いくら安かったとはいえ、誰もが少しはがっかりするだろう。そんなときに割れた体内から数珠が出てくる。人の心を和ませ、何かいいことがありそうな気にさせてくれる。
ああ知らなかった、この数珠はずっとこの中に入っていたんだ、そのまま捨てられたらわからなかったんだ、と思う。売ってる人も買った人も知らない。作ってる人だけが知っていてニヤリとしている。気持ちを込めて一つ一つに数珠を入れて作っている。そして割れて数珠を見たとき、作り手と買い手の気持ちがつながる。素晴らしい。そしてそれが安い土産物を通して起こっているということも。
北京の土産ではこうはいかないだろう。外から見えず、入ってるかどうか確かめようも無い。そんなものを北京や上海の人間がわざわざ入れるとは思えない。仏教は敦煌に生きている。
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と、せっかくの感動的な話だが、これを書いていて思い出した。この数珠見たことある気がする・・・。
ぷっ。あ、あはは。
そうだ。夜店で絵葉書と飛天の像を買ったとき、売っていたお姉さんが
「これも入れておくね。」
と、ぱっと取っておまけで一緒に入れてくれたものだ。
あはははははははは。
あまりにも古びて薄汚れているのと、あの一瞬しか見ていなかったのとで、数珠をもらったのを今の今まで忘れていた。
わはははははははは。あーあ。
なーんだ、やっぱり単なる安いみやげ物だったよ。
チャンチャン。
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