...(利休どのが)お亡くなりになる前年、茶の湯の秘伝についてお訊ねしたことがあった。そのとき、利休どのは、茶の秘伝などというもののあろう筈はないが、どうしても秘伝に執心するというのであれば、さしずめ"侘数寄常住、茶之湯肝要"とでも答えるほかあるまい...
...侘数寄常住、つまり茶の心は四六時中、寝ても覚めても心から放してはいけない。茶之湯肝要、茶を点てることもまた大切である。...茶之湯肝要の方は守れるが、侘数寄常住となると、難しい。まず至難と見ていい。これほど恐ろしい自戒の言葉はないが、利休どのはこれを心掛け、その心がけを四六時中、お放しにならなかったと思う...(井上靖著「本覚坊遺文」)
「本覚坊遺文」は、千利休の忠実な弟子、三井寺の本覚坊の手記の形で語られる、利休の死の意味を問う作品である。秀吉との確執のなかで乱世の茶のあり方を問い、賜死を無言で受け入れた自刃によって完成した利休の精神をゆかりの古田織部、山上宗二等の茶人の死とともに描き出している。
井上氏はずいぶん以前より利休という人物に深い関心があり、昭和26年に「利休の死」という短編が書かれている。この「本覚坊遺文」が書かれたのは昭和56年、つまり30年という年月が流れている。普通なら、30年という長い年月が流れれば、自然と他の興味の対象へ移っていくものだろうが、氏の場合は、何度でも利休が心にめぐってきて、そのたびに利休の存在が大きくなっていったようである。
弟子に語らせたという形態をとったのも、利休の茶を通じ日本人の精神性を追求し、表現しようとした利休の精神を描き出すためである。そうした利休の精神が、同時代人にも後世の人々にも大きな意味を持つことであると氏は常に考えてきたからだろう。
氏の小説は、現代人の行為の意味を問う現代小説と、歴史のあるがままを尊重しながら、そこに自己の夢を託した歴史小説の両分野で新生面を開いて、多くの読者を集めている。私も、映画「敦煌」に影響され、原作を読んで、それにあきたらず「蒼き狼」「天平の甍」など、氏の小説をむさぼるように読んだものである。氏の作品は、一度読み始めるとやめられない中毒性を含んでおり、いまでも「あすなろ物語」を読んで休みも入れず読んでしまう。そして、一本の名画を見終わったような不思議な興奮が残っている。それは、物語調で語られるように書かれていて、その情況描写が目に鮮やかに浮かぶほどに詳しく描かれていること、数々の芸術賞を受賞したほどの名文の重みがあるせいではないだろうか。
「侘数寄常住...」の言葉の意味、それにこめられた精神を私自身が理解するにはずいぶんと時間がかかるだろう。ただ、氏利休は、答えを自分自身で導けるようにいつも弟子に言葉をかけていた。いずれ、私の答えがでるようなそんな予感がしている。